PRIDE

ACT21

 ひやり、と忍び寄るような冷気に目を覚ましたロイの視界に、柔らかく、しかし真っ直ぐに朝の光が割って入った。どんな時にも日は昇り、雲の切れ目から降りてくる眩しい陽の光は変わらず美しい自然を浮かび上がらせるのだと、カーテンを開け、目を細め細め窓の外の景色を眺めながらロイはそんなことを思った。
 ゆっくりと起き上がって寝台の横の時計を見てみれば、昨日ほどではないがやはり早朝と呼べる時間はとうに過ぎていて、頭を掻く。どうやら自分にはあれこれ考えすぎると、思考するのに使った体力を睡眠で補うという身体のメカニズムでもあるらしい。
 衣服を着替え、身なりを整えて、ロイは何とはなしにベッド横の窓に手を伸ばした。そのまま縁を引けば、キィ、と金具のこすれる音がして、きらきらと朝陽を纏った扉が開かれる。同時にひんやりとした空気が流れ込んできた。
 目を閉じて、すう、と深く息を吸う。まだお天道様の光に暖められていない朝の空気は、刺すような冷たさと身の洗われるような清廉さを持って肺にじんわりと染み込んでいく。身体をめぐる熱の流れが一掃されたように、まるで生まれ変わったような感を覚えた。
 ゆっくりと、瞼を持ち上げる。
 漆黒の双眸には、鮮やかな決意に燃ゆる焔。
 眼前に広がる真っ青な空に挑むような視線を投げると、ロイはぐっと拳を握りしめた。なんだか戦場へ向かうような気合いの入れようだなと苦笑しながら、あながちそれも間違っていないと、ロイは思った。
 ――挑むは、金髪の青年。
 覚悟は決めたと、窓を閉め青空を背にしたロイは、確かな足取りで階段を下りていった。






 暖かいリビングでは、すでにこの家の住人全員が起き出してテーブルを囲んでいた。ドアを開けて中を覗いたロイは、ふっと顔をほころばせた。昨日の朝とは全く違う空気がそこにあるのを見たからだ。誰よりも明るい金の光がそこにあるだけで、まるで眠っていた植物が光を浴びて一斉に目を覚ましたかのように、空気が活気に満ち、世界は色を付ける。
 最初にロイに気づいたのは、やはりアルフォンスだった。目が合い、おや、という顔をしたアルフォンスは、すぐに穏やかな彼の笑みを見せた。
「おはよう、マスタング少佐」
 その声につられたように、ウィンリィとピナコが振り返る。口々におはようと挨拶をした彼女たちの横で、一人頭を動かさずエドワードは黙々と朝食を口に運んでいた。アルフォンスはそんな兄を見やり、それからもう一度ロイに視線を戻したが、何も言わなかった。代わりに彼は自分の隣の椅子を引くと、ロイに座るよう促した。エドワードの正面の席だ。
「二日続けてお寝坊さんね」
 朝食を出しながらウィンリィが言えば、エドワードの隣に座ったピナコが、ははは、と快活に笑った。
「ロイはまだ十五だろう。育ち盛りなんだから、よく食べてよく寝てればいいのさ」
「そうそう。十五のときの兄さんなんてしょっちゅうお腹出して寝てたんだから」
「……アル」
 弟の口から突然飛び出した告白にさすがにエドワードもポーカーフェイスを貫けなくなったのか、低く名前を呼ぶと、アルフォンスは肩をすくめた。たまらずくすり、とロイが笑いを漏らすと、エドワードが顔をしかめる。
「笑うな」
「いいじゃない。よく食べてよく寝てたおかげで身長もまぁ人並みに伸びたしね」
「そうそう。あのころのエドにちっさいだの豆だのは禁句中の禁句で」
「そこら中破壊しかねない勢いで暴れてたからねー」
「お前らなあ……」
 弟夫婦の容赦ない言葉の攻撃に、エドワードは頭を抱える。ロイは笑いながら、アルフォンスをちらりと見た。その視線に気づいたアルフォンスが、ロイに微笑んで見せる。敵わないな、とロイは苦笑した。エドワードとロイの間に何事かあったのだろうと感づいて、自然に場を和ませてくれたのだろう。こんなふうに何気ないふうを装って色んな気配りをするのが上手いのは、この人の才能だ。
「准将」
 あの時はこうだっただの、いやそんなことあるはずがないだのと、いつもの調子でウィンリィとぎゃあぎゃあ言い争っているところにロイが声を掛けると、エドワードはびっくりしたようにぴたりと動きを止めた。
「朝食を食べ終わったら、組み手に付き合って頂けませんか」
 猫のような金色の瞳が丸くなる。それからロイの真意を測りかねて、黒髪の少年を写したその瞳は探るようにすう、と細められた。鋭い視線にロイは逃げ出したい衝動に駆られたが、ここが正念場だ。ぐっと力を入れて留まった。
 金髪の青年と黒髪の少年はしばらく無言のまま見つめ合っていたが、
「さっさと食って、表出ろ」
 短く言って、エドワードが食事を運ぶ手を再開させた。まるで、猛々しい獣と睨み合っているかのような息苦しい緊張感に支配されていたロイは、ゆるゆると息を吐き出して胸を撫で下ろす。そして、まだまだだなと苦笑しながらも、暖かい湯気を立てているシチューに手を伸ばした。






「お願いします」
「――いつでも」
 爆発してしまうんじゃないかというほど暴れ回る心臓を押さえてようやく言った台詞に、返された言葉は短いものだった。いつのまにか天辺まで昇った太陽の光が惜しげもなく光を降り注いでいるせいで、エドワードの髪にきらきらと反射して眩しい。
 エドワードは動かなかった。少なくとも、立ったその場所からは。しかし彼は無防備に突っ立っているように見えて、ロイが今更尻尾巻いて逃げ出したくなるほどどこにも隙がなかった。お世辞にも巨漢とは言えない彼の姿が、何倍も大きく見える。正面切って対峙するまで気づかなかった新たな発見だと、ロイはそんなことを内心に呟いた。
 仕掛けたのは、ロイの方だった。地面を蹴って、この年の少年にしては信じられないくらいの速さで間合いを詰め、突きを入れる。エドワードはそれを少し身体を捻ることでかわした。反対にロイの腕を捕ると、華奢な身体のどこにそんな力があるのか、そのまま少年の身体を放り投げた。しかしロイもロイで、負けていない。ふわりと宙に浮いた身体を猫のようにひねって着地し、着地すると同時に向かっていく。
(……強い)
 次々と技を繰り出しながら、頭の端で思う。こちらが押せばすっと引いてしまうし、反対に少しでも身体を引けば容赦なく懐に入られる。更に言えばエドワードが力を押さえていることも、ロイは悟っていた。自分の攻撃は最小限でかわされているのだ。何より、彼は最初の場所からほとんど動いていない。
(これを手玉に取るアルフォンスさんは化け物だな……)
 そんなことを思いながら、ロイは涼しい顔でとんでもなく重い拳を振るう目の前の青年を見た。長い金の髪が踊るように揺れて、同じ色に煌めく揃いの獣の瞳が光る。
 あまりにも差が歴然としすぎている、とロイは思った。手合わせと言っても、稽古をつけてもらっているようなものだ。しかも、ロイの攻撃はするりとかわしながらも、エドワードの方から決定的な一撃を仕掛けてはこない。
 大きく後ろに飛びしさって、ロイは一旦エドワードとの距離を取った。瞳だけは睨むように相手を見つめたまま、肩を上下させて息を整える。
 実戦だと考えればいい。相手は自分よりも数段強い敵で、やろうと思えば赤子の手を捻るほど簡単に自分の命を奪える。それと引き替えに、自分が生き残るためには方法はただ一つ。一撃で沈めるのみだ。
 ぐ、と握った拳に力を入れた。
 地面を踏み切って、電光石火の勢いで飛び込む。
 ――やれる。
「……っ!」
 予想外に深い踏み込みに、エドワードは初めて顔色を変えた。
 しかし幾度も生死をかけた戦闘をくぐり抜けてきたエドワードだ。考えるより先に身体が動いた。一撃必殺の勢いで繰り出された一撃を紙一重でかわすと、首を掠った突きの鋭さに一瞬ひやりとしながらも、くるりと身を返して、逆に捨て身の攻撃に体勢が崩れたロイの腕を捕り、その勢いを逆手にとって背負い投げの要領で地面に叩き付けた。
「い……っつ」
 さすがにこれは効いたらしい。
 低く呻いて動かなくなったロイに、エドワードも慌てて顔を覗き込んだ。勢いが勢いだっただけに加減が効かなかったのだ。背骨をしたたかに打ちつけられて、即座に起き上がるなどと無理な話である。それでもロイは身を起こそうとしたが、さすがに身体の方が悲鳴を上げた。しばらく奮闘するも、結局最後には諦めて、ロイはふう、とため息のような息を吐いて力を抜いた。
「……負けてしまったな」
 苦笑を漏らしてそう呟いた少年を見下ろして、エドワードは低く言った。
「……お前、今オレを殺す気だったろ」
「そうでもしないと、あなたはトドメを刺してくれそうにありませんでしたから」
 それに、俺の本気の一撃くらいあなたはかわすと思いましたし。草の上に大の字に寝転がったまま、ふんぞり返って答えたロイに、エドワードは未だかつてないほど長いため息を吐いた。一体何なんだ、こいつは。
「どうして、踏み込もうとする? 知ることが怖いくせに」
 問われたロイは、それが予想外の質問だったのか瞳を丸くした。けれどそれもほんの一瞬で、すぐに表情を緩めると、よいしょと腹筋だけで上半身を起こす。それから立ち上がり身体に付いた芝生を払ってからロイは顔を上げ、金色の上官を正面から見据えた。
「恐ろしくないと言えば、嘘になる。――だけど、俺も後悔しないと決めたんです。あなたの側にいること、あなたの背中を追うことを」
 涼やかな眼差しには一筋の迷いもなかった。
「それが俺の、プライドですから」














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