PRIDE
ACT22
真っ直ぐな瞳で射抜いて、くちびるの端を持ち上げた十五の少年に、エドワードはあっけにとられたようにぽかんと口を開けたまま固まった。――あの日の、あの言葉。同じ調子で放たれたその台詞に、エドワードはごくり、と喉を鳴らす。
まったく、とんでもない奴だ。
揺るぎない漆黒の瞳に、エドワードは呆れたように息を吐いた。ここまで自分の度肝を抜いた男も居まいと、敗北感のようなものさえ感じながら、何故か押し上がってくる笑いを噛み殺した。こんな、戦場も知らないような子どもに負けたと実感することがあろうとは、夢にも思わなかった。
夜の色をした双眸を見つめる。深い深い夜の海のような不思議な色を見つめて、エドワードはゆっくりと口を開いた。
「二度目の人体錬成を行った時――」
言いながら、おかしなものだとひとりごちる。こんな話は誰にも語ったことなどなかったからだ。ロイが目を丸くするのがわかった。彼にとっても予想外かも知れないが、エドワード自身何故この少年に語る気分になったのかわからなかった。
冬の洗練された光に鈍く光る鋼の手のひらを、見つめる。
「どういう訳か、この右腕だけは戻せなかった」
戻ってきた生身の足と、弟の身体。数年ぶりに触れる温かい弟の身体に歓喜して抱きしめた自分の腕が、ひんやりと冷たかった。明るい成功に重く濃い影を落とすかのごとく、鈍く光った鋼の機械鎧。
「たぶん、鎧に魂を定着していた間のアルの記憶の代価が、これなんだろう。――この腕は、アルの魂を錬成したときに等価交換で差し出したものだから」
こんな腕一本で等価になるほど、あいつの魂は安くねえんだけど。
自嘲するように軽く笑って、エドワードはロイを見やった。
「オレの側に居るなんて、無理だよ。そのうちおまえのほうが潰れちまう。人体錬成なんかして成功するどころか弟の身体奪って鎧に閉じこめて。ついでにそれを取り戻すために戦場に立って英雄なんて呼ばれたくらいの人殺しだ」
戻らなかった右腕。それは戒めだ。――己の罪を忘れるな。お前は汚れているのだからと、冷たい鋼がそれを告げる。けれど同時に、この腕は弟の魂を繋ぎ止めた腕でもあるのだ。弟を守ることのできた唯一の腕。そのためにあったのだと思いもした、戒めとも、誇りとも言える鋼の腕。
それを一生抱えていこうと決意したあの日から、もうなにも大切なものは作らまいと決めた。
「オレを支えるなんて、重すぎておまえが駄目になる」
「どうしてそう決めつけるんです」
それまでずっと黙っていたロイが突然口を開いたものだから、エドワードは驚いて目を瞠った。少年の漆黒の瞳には強い光がある。
「何故そう言い切れるんですか」
「――オレはね、少佐」
強い口調のロイに、エドワードは子どもを諭すように穏やかに呼びかけた。
「もう二度とオレの罪に人を巻き込まないと決めた。犯した罪の罰はオレが背負うと、誓ったんだ。大切なものは作らないって。――それに、人に愛される資格なんてないから、オレが愛することもない」
言い捨てて、そのまま背を向けようとしたエドワードの腕をロイが掴んだ。予想外だったのか、ぎょっとして顔を上げた上官を、ロイは無言のままに射抜いた。鋼の意志を宿す金色が、わずかに揺れる。口を引き結んで、これ以上踏み込んで来るなと睨み付けておきながら、その瞳はどうだ。そんな泣きそうな、誰かに愛されたいと、本当は温もりが欲しいのだと悲鳴を上げているような狂おしい色は。
「だったら俺があなたを愛します」
口をついて出た言葉は、ロイにとっても予想外だった。すでに思考能力はどこかへふっ飛んでいってしまっていて、自分が何を喋っているのかもわからなかった。ただ一つ、引き留めたこの腕だけは離さまいと、それだけに必死だった。人は見栄も体裁も放り捨てて捨てばちになってしまえば、案外口から出るのは本音なのかもしれない。
ロイ自身、とんでもないことを言ったという自覚はあったが、しかしエドワードが受けた衝撃の比ではなかった。一瞬きょとんとなって、それからロイを映した、一度も揺れたことのなかった気高い金色が崩れた。
「……なん、て」
「俺があなたを愛すと言ったんです」
きゅ、と手に力を込めて繰り返す。今度こそ、それは自分の意志を持ってして放った言葉だった。言葉にするとその意志はさらに強くなる。ロイは夜の色をした瞳に太陽の色の青年を映したまま、もう一度言った。
「俺があなたを愛すから、あなたが俺を愛せばいい」
「……少佐、」
「あなたの資格がどうとか、それが何だって言うんです。それを言うなら、俺にだってあなたを愛する資格がある」
「少佐、オレは」
「俺はこの国のトップに立ってみせる」
突然飛び出したとんでもない告白にさすがにエドワードは息を詰めて、続けようとした言葉を呑み込んだ。ロイとしても胸に秘めた決意をこんなところで暴露するつもりはなかったのだが、しまったと思ってももう遅い。ぶちまけてしまったら開き直るのみだ。
「俺はその為に、軍に入りましたから。――でも、目指す理由がもう一つ増えました」
ロイは金色の青年を瞳に映して、にっこりと笑った。
「トップに立てば、全ての権限は俺にあるんですよ。あなたが俺を遠ざけようとしても、縛り付けて離しません。絶対に手に入れると決めたものは逃がしませんから、覚悟しておいて下さいね。俺は、我が侭で欲張りなんですよ」
長い間、本当に間エドワードはじっとロイを見つめたまま口を開かなかった。光を集めたような吸い込まれそうな飴色の瞳は漆黒の少年を宿したまま、その真意を探るように動かなかった。ロイもその視線を正面から受け止める。覚悟は決めた。言うことは言った。眼を逸らしたりなんかしない。
「……上官命令じゃ、仕方がないな」
長い沈黙の後、苦笑を漏らして呟くようにそう言ったエドワードは、けれどどこか嬉しそうで、顔を赤く染めて目を逸らしたりするものだから、ロイはたまらなくなってその身体を引き寄せた。
腕の中にすっぽりと収まった身体は本当に二十九の歳の男性なのかと疑うほど華奢で、抱きしめると折れてしまいそうだ。エドワードの肩に頭を埋めて、ロイはゆっくりと息を吐き出した。腕の中の存在をいっそう強く抱く。
「……やっと、つかまえた」
「調子に乗るなよ、ガキ」
「今にそんなこと言えなくなりますよ、エドワード」
さらりと言って顔を上げれば、案の定、棒でも呑み込んだような顔をしているので、堪えきれずにロイは小さく吹き出した。十四も年上の男を可愛いと思うとは。一拍おいて、ぼん、とその音が聞こえたかと思ったくらい一気に耳まで赤くなったエドワードは、この野郎と吐いてロイを睨み付けた。
「……っ笑うな!」
「あなたが可愛いのがいけないんですよ」
「喧嘩売ってんのかコラ」
今更凄みを入れて言われたって、ひとつも効果はない。ロイがまだ肩を揺らしていると、エドワードは力が抜けたのか、息をひとつ吐いた。
「……ガキのくせに」
「すぐに追い越しますよ」
「それはオレの身長のことを言ってるのかそうなのか殺すぞテメエ」
「冗談です」
言って真剣なまなざしでそっと頬に手を添えれば、わずかに金色の睫が震えた。緊張しているのか、と思い当たって、なおさら笑いが込み上げる。エドワード、と息がかかるくらい近くでその名前を呼べば、彼は困ったように一度瞬いてから、ゆっくりと瞼を閉じた。
ロイ、とその唇が初めて自分の名を呼んで、それだけのことにどうしようもなく胸が締め付けられて、ああ自分の心などとうにこの人が持っていたのだと、そんなことをちらとロイは思った。
しかし、意地っ張りの青年の、最初で最後の告白は重ねた唇に吸い込まれて、ロイは一生聞かずじまいに終わることになる。
ゆっくり唇を離すと、エドワードは泣きそうな顔で、困ったように笑んだ。ロイはエドワードをもう一度強く抱きしめて、腕の中に閉じこめる。
茨の道だと、わかっている。だけど、どんな困難をも越えていける力を、それを信じる心をこの人がくれるような気がした。
すべて、手に入れてやる。
頂点の地位も、金色のこの愛しい人も。
挑むに相応しい、目の前に高く立ちはだかる幾つもの壁を感じながら、ロイは密やかに笑みを刻んだ。上等だ、すべて越えてやる。どんなに高い山であろうと登り切ってみせる。
その、登りつめた場所から見下ろす絶景を、必ず手に入れる。
顔を上げてエドワードを見れば、瞳が合って、彼は美しく微笑んだ。この人の全てを自分が支えていけるのかなんてわからないけれど、この人がずっと太陽みたいに笑っていられればいいと、そう思った。そのためなら、なんだってできる。
腕の中の金色を抱きしめて、ロイはゆっくりと微笑みを返した。