PRIDE
ACT06
「乗っ取られたのはイーストシティ発特急列車リゼンブール行き、東部過激派『青の団』による犯行です」
東方司令部作戦室。トレインジャックの通報を受け、司令部内は慌ただしく動いていた。作戦室のドアをホークアイが開けた時には、指示をするまでもなくすでに事件を担当する主要メンバーはそれぞれ分担に分かれ、処理に当たっていた。エドワードいわく「濃い」メンバーたちだが、言い換えれば一流の技術とセンスを持った者たちである。扱いを覚えれば、この上なく優秀な集団だ。
東方地区の地図と列車の見取り図を台の上に広げ、眉間に皺を寄せてそれらと向かい合っているハボックに、ホークアイは声を掛けた。
「声明は?」
「気合い入ったのが来てますよ。読みますか?」
「そうね……いえ、いいわ」
え、とハボックが顔を上げる。その口に火も付けていない煙草がくわえられているのを見て、ホークアイは苦笑した。いかなる状況でも煙草を離さないのが彼のポリシーらしい。いわく、頭の回転が速くなるのだとか。
「どうせ、盛大な軍部の悪口に決まっているでしょう」
「ごもっともで」
言って、ハボックは再び広げた資料に目線を落とす。
「犯人グループは軍の将軍を人質に、現在収監中の彼らの指導者の解放を要求してますね」
「……将軍?」
眉を寄せたホークアイの、言外に濁した言葉を理解して、ハボックが続ける。
「いえ、エルリック准将ではないみたいっスよ。確認中ですが、駅員と部下の証言から予想するに、ハクロのおっさんかと」
「ハクロ将軍……そういえば」
将軍職に就いているハクロは、二十代にして将軍の階級を冠しているエルリック准将を目の敵にしている節があり、先日も東方司令部まで視察だと称して嫌味を言いに来ていた。ハボックあたりが「空気読めよおっさん」と小声で呟いていたが、司令部内の冷たい視線をまったく無視してこれからの東方の在り方について延々と語り続けたハクロ将軍は、確かイーステシティを発ってから東方の町を見て回って帰ると宣言していたはずだ。
「ただし、乗っている『将軍』がハクロのおっさんだけどは限らないっスけどね」
終着駅は、リゼンブール。つまり、エルリック准将が乗っている可能性がないとは言えないのだ。トレインジャックされた列車は正午発の便。――マスタング少佐には『明朝』と指示していたが、エドワードが待ち合わせの時間に遅れてくる確率はファルマンの計算によればきちんと間に合うように来る確率と五分五分である。そして困ったことに、五分の確率であれば事件に巻き込まれる方を必ず引いてしまうほどトラブルメーカー体質なのだ、あの年若い将軍は。
「乗客名簿あがりましたー」
黙々と作業をしていたフュリーが駆け寄ってくる。ホークアイは乗客名簿を写した紙の束を受け取り、目を落とした。
「……ああ、本当ね。ハクロ将軍が乗ってるわ」
一ページ目に問題の将軍の名前がしっかりとある。八両編成の列車の一両目、つまり一等車両に、ハクロ将軍は数人の護衛と共に乗っていた。それ以外の一般客は一等車には居ない。まったく人質に取られるなどと面倒ごとを起こしてくれるものだと毒づいて、名簿を一枚、二枚とめくっていくが、エルリック准将の名前はどこにもない。こちらの懸念にすぎなかったか、と胸を撫で下ろし書けたが、最後の八枚目――そこでホークアイの手が止まった。
「どうしました?」
複雑な表情で動きを止めたホークアイの顔を覗き、その視線をたどるように名簿に目を落としたハボックが、あちゃあ、と額に手を当てて顔をしかめた。やはり、というか、何というか。そこに嫌と言うほど見慣れた名前を見つけてしまったのだ。
「乗ってますね、准将」
「……ええ」
ホークアイの頷きに、他の面々も作業の手を止め振り返って視線を送る。彼らの頭によぎったのは、不安か、安堵か。長いこと手にした名簿を見つめていたホークアイは顔を上げて、作戦室のメンバーを見渡した。
「とりあえず、そうね。犯人確保とハクロ将軍及び一般客の安全は保証されたと見ていいわ」
その、言葉の意味は。
「――この列車には、【鋼】と【焔】が乗っているから」
■
「まずは二両目以下の一般客車両を解放、いいな?」
窓から列車の上に上ったエドワードは、ロイを振り返ってそう言った。縛り上げた犯人たちから聞き出した情報によると、人質のいる一等車には他よりも多めの人数が割り振られている。万一の場合、犠牲を最小限に留めるためにも先に一般客を解放するのが善策であるように思われた。
「確か一般客は三箇所に、二人ずつの監視を置いて集められているんでしたよね?」
「ああ、オレ達の乗ってた八両目に六・七・八車両の一般客が集められてたってことは、二・三車両、四・五車両の客が一緒に集められてる可能性が高いな」
「では、二手に分かれて一車両ずつ担当しますか?」
事を起こすのは同時の方が良いだろう。一車両ずつ攻撃を仕掛けていくやり方もあるが、これは一方を片づけているうちに情報が他の犯人たちに伝わってしまう恐れがある。可能な限り速攻を掛けるのが有効であり、それが乗客の安全の確保にもつながるとロイは考えたが、エドワードは黙って顎に手を当てている。
深い色をした瞳に真剣な光を点しているエドワードの横顔を見つめながら、ロイはこのポーズが彼の思案する時の癖なんだろうか、とそんなことを思った。だが、やがて顔を上げ、ロイに向き直ったエドワードが出した答は予想外のものだった。
「いや、一車両ずつ順番に、二人で攻める」
「……一車両ずつ?」
思わずロイは語尾を上げた。先に挙げたように、その作戦では危険性がつきまとう。そのことをエドワードだってわかっているだろうに。
「それだと時間が掛かってしまうのでは」
「それでもだ」
予想外に強い断定の言葉に、ロイは少なからず驚く。なぜそう頑なに言うのかと上官を窺えば、こちらを鋭く射抜く金の瞳にかちあった。まただ、とロイは声に出さずひとりごちる。――また、この瞳に呑まれそうになる。逆らうことを許さない、見る者を捕らえる強い金の輝きに。
「おまえが力のある錬金術師だってことはちゃんと知ってる。おまえの力を過小評価してるんじゃない」
よほどあからさまに、納得できないといった顔をしていたのだろうか、エドワードはいくぶん口調を和らげてそう言った。だがそれでも、だけど、と続ける言葉はなおも否定だ。
「おまえには経験が足りないんだよ。いくら成績優秀でも、教科書通りの動きができても、実際に殺意を持った人間を相手にすることは訓練とは全く違うんだ」
ロイは口を開きかけ、そしてつぐんだ。言えることは何もなかった。経験不足はどう言い訳しても事実であるし、自分が若く未熟なことも承知している。――実際、この人の視線に射抜かれるだけで情けなくも言葉を見失ってしまうほどなのだ。ロイはただまっすぐに向かってくる金の瞳から目を逸らさずにいることで精一杯だった。
「もうひとつ」
エドワードの目が下に降りる。右手を、ちらりと見られたのがわかった。
「絶対に発火布を使うな」
ロイは黙ったまま、目を見開く。今度こそ、今聞いたのは何かの間違いではと耳を疑った。炎の錬成はロイの十八番だ。それを禁止されるなど、自分の一番の武器をみすみす捨てるというのも同然ではないか。もしかすると、エドワードは最初から自分を戦力として使うことを考えていないのだろうか? そんな考えがふとよぎって、ロイはぎゅっと拳を握りしめた。
「……っしかし、」
「一般客を傷つけずに、犯人に致命傷を負わせることもなく、だが確実に拘束する。それができるか? できるという自信があるか?」
反論しようとしたロイの言葉を遮って、エドワードは語調を強めて切り込んだ。ロイが返答にぐっと詰まる。できると即答するにはあまりに自分が力不足で、自信を持つには場数を踏んでいなさすぎた。奥歯を噛んで言葉を呑み込んだロイに、エドワードが容赦なくとどめを刺す。
「おまえの錬金術は大勢の人間を後ろにかばいながら使うのには向いていない」
それに、と続けながら、エドワードはロイから顔を逸らした。その刹那、瞳によぎった光に過去を見つめるような、狂おしい色を混じらせて。
「――人を焼く感触なんて、おまえは覚えなくていい」