PRIDE
ACT04
「ごめん、待った?」
そんなデートの待ち合わせに遅れてきた女の子の定番のような台詞を言いながら息を弾ませて走り寄ってきた金髪の上官に、ロイが目眩を感じて頭を抱えたとしても誰も責められまい。
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膝に手を当てて身体を曲げ、肩で息をしているエドワードを眺めながら、ロイはさらに深いため息をついた。背にしていた壁に体重を預ければ、そのままずるずるとへたり込んでしまいそうだったが、気力を振り絞って「お早うございます」と声を掛ける。
おはよー、と返しながら顔を上げたエドワードと目があって、ロイはどきりとする。乱れた息、頬に張り付いた金糸、吸い込まれそうな金の瞳。そんなものにふいに心臓が跳ねて動揺していても、ロイはそんな内情は決して表情には出さない。
「准将、貴方が明朝と仰ったので私は朝一番の列車に間に合うようにここに来たのですが、どうやら貴方の『朝』というのは正午を回っていなければいいという認識であったようですね」
「うーわーおまえ中尉そっくり」
ようやく呼吸の落ち着いたエドワードは、げんなりとした口調で呟いた。だがロイにはそれがどうしたとふんぞり返るだけの強みがある。なにしろ朝四時の始発に間に合うようにステーションに到着したロイは、かれこれ八時間近くも彼を待っていたのだから。もちろんそんな長い時間同じ場所に立っていたのではなく、リゼンブール行きの列車が四時間に一本あるため、間の三時間ほどは近くの本屋や喫茶店で時間を潰していたのだが。
「ごめんなー、昨日夜更かししたら朝起きれなくってさあ」
そんな子どものような言い訳をするエドワードに、ロイは呆れるより笑いがこみ上げてきて、吹き出しそうになるのを必死に堪えた。仮にも軍の将軍が、ばつが悪そうに十四も年下の自分の顔色を窺っているのだ。本人がそれはそれは真剣であるのは目を見れば明らかなのだが、だからこそどうにも可笑しい。
「もういいですよ。それより切符、買わないと。次の列車は十二時ですよ」
えっもうすぐじゃん! 弾かれたようにぴょんと飛び上がって、慌ててエドワードは鞄を引っ提げて切符売り場へ駆け出した。ロイが苦笑しながらその後を追う。
目に鮮やかな深紅のコートが翻る。いつもは高い位置で一つにくくられているエドワードの長い金髪が、今日は三つ編みにされて背に流れているのにロイは少し驚いた。中性的な整った顔で華奢な体つきのため、男性将校のイメージのある軍服を纏っていなければずいぶん雰囲気が違って見える。女性に間違われてもおかしくないくらいだ。――ただ、あの獣を思い起こさせる強い瞳を見ればすぐに分かるけれど。
きらきらと陽光に輝く金と、鮮やかにはためく赤に目を奪われて、その場のたくさんの視線がエドワードを追いかけているのにロイは気付いた。金の髪を踊らせて駆ける青年を誰もが振り返る。あの人には人を惹きつける力がある、とロイは思う。オーラが違うのだ。まるで光の下に迎え入れられるために生まれてきたような、どこに居ても目を引く強烈な存在感をエドワードは持っている。
「マスタング、早く来いよ!」
そう叫びながら振り返った上官の弾けるような笑顔にロイは少々うろたえたが、返事をして足を急いだ。わざわざ階級を呼ばなかったのは人目があるからだろう。だがその場合自分は准将のことを何と呼べばいいのか――とロイは思い立って、頭を抱えてしまった。まさかエルリック、と呼び捨てになどできないし、かといってさん付けで呼ぶのもあまりに響きが不自然だ。堂々巡りになりそうだったので、とりあえず自分から話しかけなければ良いんじゃないかとある意味非常に理屈にあった結論を苦し紛れに出したロイは、あっという間に売り場へ着いて二人分の切符を買って来たエドワードから一枚を受け取った。大遅刻をされておきながら行動の主導権は握られるなんて何だか割に合わないとひとりごちたが、口には出さないでおく。
まもなくホームに着いた列車に乗り込んで、固い椅子に腰を下ろした。指定席の一等車両ではなく、一般車両に乗り込むあたりがエドワードらしい。上の荷物置きに鞄を詰めていると、声を掛けられた。
「おまえ荷物少ないなあ」
オレなんか防寒具だけで一荷物だぜーと、エドワードはロイの鞄よりも一回りほど大きくふくらんだそれを押し上げている。それからロイの格好を上から下まで眺めて尋ねた。
「服も薄着だよな、寒くねえの?」
「女の子じゃあるまいし、旅に必要なものなんて少ないですよ。衣類は二、三日分あれば十分だし、私はもともと北部の出身なんで、寒いのは慣れてるんです」
へえ、と生返事をしながら、エドワードは本来座るべき椅子にあろうことか寝転がった。車内の座席は十分に空いているし、一区画ごとに椅子は向かい合っているのでロイは向かいの椅子に座ればいいのだが、それでも三人分は座れる椅子である。それを一人で陣取ったエドワードは、「ごめん、オレ寝る……」とすでにまどろみかけている。
子ども並みの寝付きの速さだな、むしろ動く乗り物に乗った途端眠気を催すなんて子どもそのものだ、いやそもそも寝坊したくらいなんだからしっかり睡眠は取れているんじゃないか、一体何なんだこの人ほんとに将軍なのか――そんな数々の突っ込みをロイは呑み込むと、エドワードの向かいに腰を下ろした。
「リゼンブール着いたら起こして」
そう言って目を閉じたエドワードは早、規則正しくすうすうと寝息を立て始めている。おやすみ三秒。ロイははあぁ、と今日一番の深いため息をついて、他に見るものもないのでエドワードの寝顔を見つめた。どこか作られた表情も、その裏にある謎めいた雰囲気も影をひそめて、ただ眠る彼の顔はあの強い意志を宿した瞳が閉じられているせいで妙にあどけなく、けぶる長い睫と頬に一筋はらりと零れた金髪、それが車窓から柔らかく差し込む光に煌めいて、まるで幼子のようだ。
(こんなに無防備でいいのか……)
こちらが戸惑ってしまうほど何の警戒も感じられない姿に、ロイの方がそんな心配を抱く。出会って一週間の、しかも国家錬金術師で、十五歳の最年少佐官で、まだ世間を知らない子どもという色々な問題を抱えた自分のような存在の前で、何の壁も作らないエドワードに驚いていた。――それを嬉しくも、思う。少なくとも寝顔を見せるほどには信用されているらしい。
(一週間、どうなることやら)
この十四も年上の、だけど全然年上に見えない上司と過ごす七日間は、とんでもない一週間になりそうだ、とロイはひとりごちて苦笑した。――どうやらこれから何が起こるか楽しんでいる自分もまた、いるらしい。
まさか初日の列車の中で、すでにその『とんでもないこと』が起ころうとしていることを知らないロイは、エドワードの寝顔を見つめながら穏やかに微笑んでいた。まったくどっちが年上なのかわからない、などとつぶやきながら。