PRIDE
ACT03
盛大にクエスチョンマークを飛ばしながら目をぱちくりさせる部下たちに、エドワードは苦笑して副官を振り返った。
「中尉。もともとオレは明日から三日間休暇を取ってたよな?」
ホークアイがはい、と頷く。
「その休みってのは実はコレの整備のために取った休みなんだよ」
エドワードが右手を軽く持ち上げると、ホークアイ以下、執務室に詰めていた部下たちは一様にああとうなずいた。ロイだけがその意味をくみ取れずに眉を寄せる。エドワードの右手に目をやって、別にこれといって変わっているところなんてないが……と考えて、はっとした。そういえばエドワードはいつも両手に手袋をはめていて、外から見える部分に決して生身の肌を出さなかったのだ。ロイ自身、発火布をしている時があるためにさほど奇異なこととは思わなかったが、よく考えてみれば不自然かもしれない。一見したところ問題なく動かしているようだから、手袋の下にはちゃんと神経の通った手があるのだろうけれども。
「准将」
どうやら状況が把握できていないのは自分だけのようだと自覚したロイは、少年のような外見の上司に声を掛けた。
しん、と一瞬部屋の中が静まりかえる。振り返ったエドワードは、そこで困惑の表情を浮かべたロイと出会って、そうだった、と小さく呟いた。けれどなぜか彼は続けて何かを言おうとした口をつぐみ、わずかに迷ってから、代わりにロイに示すように右手を持ち上げると、手袋を引っ張った。
白い手袋が外れて、右手が露わになる。だが予想を裏切って、軍服の袖から鈍い輝きを放って現れた鋼に、ロイは思わず息を呑み込んだ。
「機械鎧……?」
ロイの口から漏れた、かすかな呟きのような問いかけに苦笑して、エドワードはそのまま袖口を肘の方まで捲り上げた。彼の纏う金色とはおよそ不似合いの生気のない鉄の色が、しかし重々しい存在感を持って現れる。それは精密で冷たく完成された輝きをし、それでいてはっと目を引くほど危険な美しさを称えていた。
――太陽に近づきすぎて、翼をもがれ地に墜とされた英雄。
どこかの神話で読んだそんな言葉が、ふいに思い出された。太陽の色をした彼の瞳は底が見えない。
「少佐は機械鎧を見るのは初めてかな。ウィンリィってのはオレの幼馴染みで、専属の機械鎧整備師だ。本来ならあいつがこっちに来て整備をしてくれる予定だったんだけど、さすがに汽車に乗らせて出向かせるのは無理だろうってアルと話してさ。本人は来るって言ってるらしいけど、今一番大事な時期だろ、そんなことさせられない」
後半はここにいる全員に向けたものだ。なるほどそういうことか、とようやくロイを含め全員が納得のいった様子で、エドワードの言葉に頷いた。ホークアイが一歩を進み出る。
「でしたら私もお供します」
「だめだ。オレも中尉も司令部を空けるようなことになれば、もしもの時の対応ができなくなる。何かあった時に即座に的確な指示を出す人間が必要だろ?」
即答で否定したエドワードの言葉は正しい。だからといって、今は比較的治安が落ち着いているとはいえ、東部は長いこと内乱で荒れていた地域であり、いまだに血の気の多い輩もいる。将軍の階級を背負うような軍部の上層部の人間が、護衛も無しに出歩くのはあまりに危険だというのもまた、事実なのだ。
「だからって身重のウィンリィに出てこいってのは酷だしな。まあ大丈夫、中尉が司令部に残ってれば大抵の問題は解決できる」
それはそうなのだが、ではエドワードは誰も伴わずに一人でリゼンブールまで帰郷するつもりなのか。それこそ冗談ではないと面々が言い出そうとしたその時、エドワードはそのタイミングを見計らったかのように、にやりと笑って一人を指さした。
「今回、オレの護衛はマスタング少佐に任せる」
一拍を、置いて。
その人差し指が指した目標物が自分であると認識したロイは、しかし言われた台詞の意味まで理解できず、
「……はい?」
と少々気の抜けた声を発した。
ホークアイ以下のメンバーも同様で、真っ先に声を上げたのはハボック少尉だ。
「ちょっと待ってくださいよ、少佐はこれが初めての外部任務ですよ? それがあんたの護衛だなんてちょいと荷が重すぎやしないですか。それでなくてもあんたはトラブルメーカーなんですから、護衛は選りすぐりでないと危険なんです」
「そうですね、実際准将が外に視察に出た時に合わせて暴動や事件が起きる確率は五割を超えています」
生真面目にハボックの補足をしたのはファルマン准尉。五割って、二回に一回は何か揉め事に巻き込まれてるんじゃないかと心の中でロイは突っ込みを入れたが、エドワードは首を横に振った。
「少佐は錬金術師だ。それも国家錬金術師の資格を持つ、な。攻撃、防御、応急処置、あらゆる面で護衛に一番向いているのは錬金術師だよ。しかも少佐の錬金術はある程度遠距離、近距離問わず使用できて殺傷能力も高い」
さらりと物騒なことを口にした上官は、まるで光を溶かしたようなその瞳に正反対の漆黒を纏うロイを映して、口の端を上げた。国家資格を持つことの、意味。――国家錬金術師は『人間兵器』だ。資格を取ると決めたときからそう呼ばれることは覚悟していたが、冷ややかな金色の視線に絡め取られてぞくり、とロイの背を撫でるものがある。
「それに、司令部から抜けても問題が無いのは少佐だけだ。あとのやつは何かしら手をつけてる事件やら溜めてる書類やらがあるだろ」
異論はないな、とエドワードはそれぞれの顔を見、反論が上がらないことを確認すると踵を返した。ドアノブに手を掛け、部屋を出る前にはたともう一度思い出したように振り返って、ロイに笑みを放って寄越す。
「少佐は明朝荷物まとめてステーション集合! 軍務で行くんじゃないから私服でな。あと、オレはとりあえず向こう一週間分、オレの処理じゃないとだめな書類を今日中に片づけるから、誰もオレの執務室に近づくなよ」
そう言って、ドアの外に消えた。
「……マスタング少佐」
沈黙が室内に降りて十数秒、といったところか。色んな空気の絡み合ったその長い沈黙を破ったのは、ホークアイ中尉だった。ロイはと言えば、未だ数々の衝撃から立ち直れずに直立不動のままである。中尉の呼びかけにのろりと首を返すと、思いがけず真剣なまなざしと出会って驚いた。
「お話があります。少し廊下でお付き合い願えますか?」
その言葉にますます目を丸くしたものの、ロイは頷いて席を立った。ホークアイに続いて部屋を出、人気のない薄暗い廊下に身を滑り込ませる。ドアを閉めて室内を遮断すると、ホークアイは口を開いた。
「いきなりの話で戸惑っていらっしゃるでしょうが、ああなってしまえば准将は止められません。ですから、あなたに伝えておかなければならないことがあります」
真摯な、丁寧な口調だった。ホークアイは年下のロイにもきちんと敬語を使い、上官扱いをする。だからこそ、そのホークアイが次に言った言葉に、ロイは少なからず動揺を感じた。
「無礼を承知でお訊きしますが。今回の任務であなたが第一に完遂しなければならない事を、理解しておいでですか?」
即座に答えることができずに、ロイは幾つかの言葉を喉の奥で空転させた。自分をまっすぐに見つめてくるホークアイの眼には鋭い光が宿っており、ロイは神妙に、口を開いた。
「……准将を危険からお守りすること。そのことだと認識していたが、違うのか?」
全ての危険から上官を守る。必要ならば発火布を持ち出しても完遂するべき任務だと承知していたが、それではないのかとロイはとまどいを瞳に浮かべてホークアイを仰いだ。彼女はむしろ睨むような厳しい眼でこちらを見つめている。そして、静かに口を開いた。
「いいですか、マスタング少佐。このことだけは絶対に覚えておいてください」
そこで切って、ホークアイはさらに語調を強くする。
「あなたが最優先に守らなければならないのは、自分です」
ロイが、目を見開く。それでは護衛の意味がないではないかと疑問を口にしようとしたが、それをホークアイは遮った。
「いいですか、あなたが第一にするべきは、自分の身を危険に晒さないことです。――准将が、あの方があなたを助けようとするのを防ぐことです」
息を呑んだロイに向けられるのは、強い瞳。目は口ほどにものを言う、というが、ホークアイの瞳はその台詞を裏付ける過去を追っているような、そんな色をしていた。その眼がロイを離さない。
「准将は自分を盾にしてまで他人を守ろうとします。自分が犠牲になることを少しも厭わずに、むしろ自分が前に出ることで多くの人を巻き込まないですむなら先陣を切って飛び込んでしまう。そんな無茶ができるほどの、強さ故に」
そしてホークアイは瞳を伏せ。美しい金髪を頬に落として、ひとり言のような小さな声で呟いた。
「――あの人は、優しすぎる」
ホークアイは顔を上げて一度ロイを見つめてから、頭を下げた。
「准将をよろしくおねがいします。少佐も、道中お気を付けて」
本当に准将はトラブルメーカーですからね。緊張を崩してホークアイは苦笑すると、では失礼します、と一礼してまた部屋に戻っていった。
いつになく厳しい光を宿したホークアイの瞳。それと共に心に留めた彼女の言葉を早々に思い出すことになるとは、この時のロイはまだ理解していなかった。