PRIDE
焔の瞳
――カツ、カツ。
軍靴が床を踏む、無機質な音が響く。闇に繋がれる感覚。走り出せたらと思うけれど、薄暗い中に響く硬い音が伸びた自分の影を踏み、足取りを重くしている。本来重量など無いはずの空気が身体に重くのしかかり、息をするのに苦労する。頬を撫でる風がひやりと悪寒を伴っていると感じるのは錯覚だろうか。季節は初夏、暑苦しい軍服に身を包んでいてなお、微かな震えが身体を走る。沈黙が生み出す圧迫感に耐えきれずに絞り出した声は、けれど自分でも意外なほど平然とした響きでもって滑り出た。
「貴方が試験見学とは、珍しいですね」
「なに、十五の子供が来たと言うのでな」
上手くいったと思ったのも束の間、言外に僅かに別の意味を含ませた自分の問いに微塵も動揺することなく返ってきた答えは、至極シンプルなものだった。ちらと隣を見やれば、前を向いているものと思っていた瞳は自分の方へと向けられていて、まともに視線を合わせてしまう。思わずひゅっと息を呑むと、その瞳は穏やかに微笑んだ。まるで、幼い子どもを見つめるかのように。
「十二で試験を受けに来た時の君を思い出す」
懐かしさを滲ませたその声。見つめるその瞳に、何もかも見透かされているような気がして嫌気が差す。そんな考えを読み取ったかのように、彼はゆっくりと唇に笑みを引いた。
「君のように優秀で愚かな子供であることを、期待しているよ」
■■■
去っていくブラッドレイの後ろ姿を、エドワードは苦い顔で見送った。足が床に張り付いて離れない。極度の緊張に強張ったままの身体を弛緩させるように、ゆっくりと震える息を吐き出した。
背中が冷たい汗に濡れていた。張りつめた緊張を解けば、一気にどっと身体中の血が逆流してくるような感覚がある。恐怖はいつも、後からやってくるのだ。それを代弁するかのように激しく動悸がした。未だなお、自分はあの人の束縛から逃れることができないのだと思い知らされる。どんな感情も読み取れない氷のようなあの眼に、すべてを絡め取られてしまう。一歩を退こうとした瞬間にすっと間合いを詰められ、気づいた時には喉元に刃を突きつけられているのだ――鋭く、容赦のない刃を。
「准将、こちらにいらしたのですか」
背後からの声にはっとして振り返れば、小さな足音と共に副官が駆けてくるところだった。その姿を見とめて少し安堵する。駆け寄ってきて歩を合わせた彼女の瞳に少し心配の色があるのを見て取って、エドワードは苦笑気味に漏らした。
「話の種に見ておこう、だとよ」
「使える人間であったなら手元に置こうとでも?」
強い口調に、少し驚いて顔を上げる。金の髪をきっちりと纏め上げ、凛とした空気を纏ったリザ・ホークアイ中尉は今日も美しかった。自分の背中を任せるようになってもう随分と経つ、片腕とも言うべき副官の顔には明らかな嫌悪が浮かべられていて、エドワードは苦笑する。
「言うようになったな、中尉も」
「貴方を手本にしていますから」
それは止めといた方が賢明だぞ、と言えば、ホークアイは笑い声をたてた。
「そう言えば准将が国家錬金術師試験の見学にいらっしゃるのも珍しいですね」
「今回は受験者の術の危険度が高いからな」
意味がわからなかったらしく首を傾げた副官に、エドワードはいくぶん噛みくだいて説明をする。
「普通は実技試験にこんな大規模なことはやらない。受験者の専門が炎の錬成だと耳に挟んだ大総統が、是非やってみせてもらおう、なんてまた無茶を言い出したんだよ」
「それで、今回の試験内容なのですか」
「ああ。たかが試験に建築物の爆破だなんて前代未聞だ。なんてったって、リスクが高すぎる。――だからオレが、呼ばれたってわけ。もしも錬成に失敗した時に被害を最小限に抑えるためにな」
まったく大総統の我が侭に付き合うのも大変だ、と愚痴を漏らして、エドワードは話を終わらせた。それが単なる我が侭ではないということは、しかし彼は語らなかった。――おそらく大総統は今回の試験で見極めるつもりなのだろう。子どもの、殺しの能力のレベルを。柔和な顔の下で光るあの氷の眼で、自分の懐に入れて飼うに相応しい優秀な狗であるかどうかをしかと吟味するつもりなのだ。
聡明なホークアイが自分の言葉をどう受け取ったのか、少しの沈黙の後そうでしたかと短く言って、彼女はそれきり質問を重ねては来なかった。