昼下がりの嵐
「信じらんねえだろ!? なあ、中尉!」 ああ、まあ、そうっスね……どっちかと言うと俺的には、この状況が信じられないというか、受け入れたくない感じですけどねー。 そんなハボックの半ば泣きの入った内心のぼやきになど気づくはずもない青年は、注目を集めまくっていることを未だ察することもなく、バン! とハボックのデスクを叩いた。酔っ払いかよ、おい。叩きつけられた衝撃に積み重ねた書類の山が浮いて、冷や汗をかく。 怒れる獅子のごとき――数年前なら、子猫と喩えていたところだが――青年、もといエドワードが息せき切って大部屋に飛び込んできたのは、十五分ほど前のことだった。ぎょっとして固まったところで目が合ってしまったことが運の尽きだったと、今になって後悔する。ターゲットロックオン! とでも言うように、ああちょうどよかった中尉聞いてくれよと迫り来るエドワードから、逃げられるはずもなく。そんなこんなで貴重な昼休みを刻一刻と奪われつつ、ハボックはお怒りの上官の愚痴に未だ付き合わされているのだった。 そもそも事の発端は、今朝早くに起きた、引ったくり現行犯の逮捕劇にあるらしい。エドワードとロイが司令部に向かう途中(今日は迎えに来なくていいと言った上官が、エドワードと二人で徒歩通勤していたという点については、ハボックはひとまず聞き流すことにした)、通りで女性の悲鳴が上がったのだ。そこからが、問題だった。 「なんっでアイツはそこで、突っ込んでいくんだ!? 護衛の意味ねえだろうが!」 あーそれはいつも現場で我々が思っていることなんですが、もうどうしようもないと半ば諦めかけてもいるんですよねーあの歩く火種男は未だに先陣切って突っ込んで行きますからねー。まあそれに関して言や、何度言っても聞きゃしないのは大将も同じですけどねー。 「アイツの方が反応速かったのも気に食わないし」 ああ、一番悔しいのはそこなのか。だけどエドとあの人じゃコンパスが違うし、そもそも場数だって桁違い、ましてや戦場の最前線で戦った経験を持つ人間に反射で勝とうってのは無理な話だろうに。 「体調が万全だったら、スタートで負けたって追いつける自信あるのに」 ……ん? 「そうだよ! 身体さえちゃんと動けば、あんなに引き離されることもなかったんだっ!」 ……んん!? 「全速力で走れなかったのはアイツのせいだろーっ!」 てんてんてん、まる。 一瞬のフリーズの後、動きの鈍くなった頭で、とりあえず今エドワードがものすごい勢いで口を滑らせたことには気づいたハボックが、「そうだ、オレが悪いんじゃない」とか「大体、昨晩ろくに飯も食えなかったのだってアイツのせいだ」とかとんでもないところにまで飛び火してぶつぶつ呟いているエドワードの顔前に掌を突き出した。 「エド、ストップ」 「何だよハボック中尉ー」 「いいから止まれ、止まってください頼むから」 はあ? と怪訝そうな顔になったエドワードに、ハボックは深いため息をついた。とにかく暴走は止めたものの、このはた迷惑な青年は特大の爆弾を投下したことにまったく気づいていない。これ以上放っておくととんでもないことまで叫び出しそうだが、かといって、矛先が自分に向けられるのは遠慮したい。しかし背後で固まっている軍人たちも気になるし、これからどうするべきかと頭を抱えていると、その頭上からのんびりとした声が乱入した。 「やあ、こんなところにいたのかい鋼の」 がばっと顔を上げれば、エドワードの頭にぽん、と手を置いてにっこりと笑う黒髪の上官。どうやら調書を取り終えて解放されて来たらしいが、これは天の助けなのかそれとも新たな起爆剤なのか!? とハボックが息を詰めていると、ロイはくしゃりとエドワードの頭を撫でた。――その顔が、こちらが赤面するほどに甘い。 「君のデスクは向こうだろう、これ以上部下の仕事の手を止めるのは感心しないな」 声まで極上の甘さだ。 噛みつく寸前だった獅子をひと撫でで子猫のようにおとなしくさせた上官は、おいで、とそのまま優しく呼びかける。しかしロイを見上げたままかちんこちんに固まってしまっているエドワードを見て、少し思案したあと、その両脇に手を差し込んだ。 「えっ、ちょっ」 慌てたエドワードが暴れ出す前に、素早く椅子からその身体を引っこ抜く。すとん、と床に下ろされ、後ろからロイに支えられるようにして立つ格好になったエドワードが眼を白黒させているうちに、ロイはエドワードを抱えたまま、彼ごとくるりと身を返した。ハボックたちからは、エドワードの身体がロイの背に隠れて見えなくなる。 「ああ、言い忘れていた」 そのままエドワードの背を押して部屋を出ようとしていたロイが、思い出したようにそう呟いた。そして、首を捻り、顔だけをこちらへ向ける形で振り返ると。 ゆっくりと、笑んだ。 その笑みは先ほどエドワードに向けられていた蕩けそうなそれではなく、半端なく顔の整った男の、完璧な笑顔であるにも関わらず、うすら寒いものが背筋を駆け上った。 「先ほどこの子が口にしていたことについて、今後一切本人に言及及び詮索することを禁ずる。――更に、言い触れて回った日にはどうなるか、解っているな?」 燃やされる。絶対、灰にされる……! その場の全員ががくがくと首を縦に振るのに一瞥くれて、部屋の温度を確実に三度は下げた男は、よかろうとひと言言い置いてエドワードと共に出て行った。 (あ、嵐が去った……) 二人の上官が去ってたっぷり五分はたった頃、ようやく金縛りが解けてきた軍人たちは、へなへなとデスクに倒れ込んだ。嵐と言うよりむしろ、竜巻に巻き込まれたあげく雷に打たれ満身創痍の状態のところを裸で南極に放り出されたような気がしないでもないが、とにかく大部屋の日常は取り戻された。 脱力して机に突っ伏したまま、否応なく色々なことに――例えば、当初大部屋に配置されていたエドワードのデスクを強引に自分の執務室に入れたこととか、どこへ行くにも連れていくくせに、階級が上の厭味ったらしい爺どもと面会する時には同行メンバーから外すこととか、エドワードが部下たちとじゃれているとさりげなく攫っていくこととか、誰もが薄らと察してはいたが確信を持ちたくはなかったその他もろもろの上官の行動の理由について――気づいてしまった軍人たちは、一様に、深い深いため息をついた。 「……あの、ハボック中尉……少将と、少佐って……」 「言うな」 知らない方が幸せなことがな、世の中にはたくさんあるんだよ。 泣きそうな声で口を開いた部下にハボックはそう諭して、そう言や、あの人エドの公休の前日は鬼のようなスピードで書類裁いて残業ゼロで帰っていくな……とかいらないことにまで気付いてしまい、再びデスクに沈みこんだ。 |
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