抱きしめて、眠る。
――兄は弟の体温をひどく恋しがる夜がある。
暖かな腕
すうすうと穏やかな寝息を立てはじめた兄の腕から、アルはそっと抜け出した。
冷たい鎧の自分をきつく抱き込んで離さなかったせいですっかり冷えてしまった身体を気遣って、アルは毛布をベッドの上で丸くなる小さな身体にそっと掛けてやる。ううん、と口の中で唸った兄は、だが意識はすでに深い眠りの中にあるようで、寝返りを一度打っただけで起きる気配はなかった。――やっと眠ってくれた、とアルはほっと息をつく。
国家錬金術師試験を受けるためにエドがアルと別れてから、お互い初めて相手のいない生活を送った。アルはロイ・マスタング大佐の手配で質の良い宿屋に身を置き、試験に挑むエドを送り出した。それからイーストシティで一人留守番の日々は、日常のふとした瞬間に、今まで当たり前のように隣にいた存在がいないことを唐突に自覚させられたものだ。「ねえ、兄さん?」と言葉尻にうっかり相づちを求めてしまったことが何度あったことか。そのたびに苦笑し、そして同じ空の下で同じように自分がいないことに違和感を感じているだろう兄のことを考えた。おなか出して寝てないかな、とそれだけが心配だったのだが。
予想外に離れていることがこたえたのは、エドの方だった。
実技試験で大総統に刃を向けたという十二の少年は(後でそのことをマスタング大佐から聞いたアルは驚きを通りこして呆れて頭を抱えたものだが)数週間ぶりに再会した弟の顔を見るなり歓喜とも安堵ともつかない泣き笑いのような表情を浮かべて「ただいま」と言った。そんな表情を見せたのはその一瞬だけで、その後はマスタング大佐とぎゃあぎゃあ言い合っていたが(十四も年下の子どもとまともに口喧嘩をする国軍大佐というのもいかがなものかとアルは内心で突っ込みを入れた)、それでも小さな身体で相当に無理をしていたらしいことはアルの泊まる宿に着き、ベッドに寝転がってからも意識が失われるまでアルを視界から出そうとしなかったのを見れば明らかだった。
「それでな、大佐の野郎が……」
そんな風に何気ない口調を装いながら離れていた日を取り戻すかのようにあれやこれやと話すエドの姿は、語りを止めないことでアルをその場に繋ぎ止めているようでもあり、珍しく積極的に触れてくるのは冷たい鋼の鎧のどこかに温もりを探しているかのようでもあった。
エドの寝顔を見つめながら、アルは幼い頃――お互いの体温で眠っていた頃のことを思い出した。
身体の大きさは同じなのに(本当は少しアルの方が背が高かったのだが、兄ががんとして認めなかったので「同じ」と表現しておく)、エドは必ずアルを抱きしめて眠ったものだ。まるで大事な宝物を守るように腕の中に抱き込んで、そのぬくもりを確かめるように離さなかった。やわらかな子ども特有の体温に包まれて眠るのはひどく心地よくて、兄と体温を分け合って眠り、見る夢はとても穏やかで安らかで。あの暖かな腕は決して自分を放したりしないと、眠るまで抱きしめていてくれると。
母の腕とも、ピナコばっちゃんともウィンリィとも違う、兄の腕。自分を抱きしめて眠る腕。ほら、と差し出される腕はいつも自分を引っ張ってくれた。一つしか歳は違わないのに、兄の腕は弟を守る力強さと暖かさを備えていた。
(兄さんも、さみしかったのかな……)
腕を伸ばし、抱きしめてもぬくもりを感じられない身体なのに、それでも求めてきたエドに、この冷たい鎧は安らぎを与えられただろうか。たった一人で国家錬金術師試験に挑んでいた間、感じていた不安や緊張やさみしさを、少しでも癒してあげられればいいと思う。さみしかったなんて弟の前で口が裂けても弱音を吐かない兄だから絶対言わないだろうけど、自分が隣に居ることで少しでも力になれるならずっと一緒にいようと思う。
いつものようにおなかを出して寝ている兄の姿に苦笑して、アルはそっとエドの手をおなかの上からどけて服を下ろした。毛布をかけ直してやると、冷えた身体に暖を求めたのか、そのままエドは毛布を巻き込んで丸くなってしまった。口を開けば小生意気な少年だしやたら手が出るのが早いのだが(とはマスタング大佐の言であるが)、年相応の幼い表情で小さな姿を丸めて眠っている姿はまるで子猫が陽だまりのなか幸せそうに眠っているかのようだ。
明日の朝兄が目覚めたら一番に「おはよう」と言おう、とエドの寝顔を見つめながらアルは考えた。朝一番に挨拶を交わせる相手が居るというのは幸せなことだ。一日の始まりを誰かと一緒に始められるのは素敵だ。離れていてさみしかったのは、アルも同じなのだ。
暖かな腕は自分にはないけれど、お互いの存在が在ることで満たされる想いや共有できる気持ちがあるなら。
――抱きしめて眠ろう。
*おしまい*
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