きゅ、と。
自分の指を握り返してくる小さくて丸い手を見つめて、エドはやわらかく笑んだ。
小さな手
いのちの誕生、というものを初めて間近で見た。
ひとつの生命が、この世に誕生するということ。それはとても神聖で、とても嬉しくて、とても素敵なことだった。すげー、という子どものような感想しか咄嗟に出てこなかったくらい、言葉にできない純粋で素直な感動が胸に押し寄せてきた。
錬金術師が何百年も年月を費やしても未だ成し得ていない、「人間が人間を造る」という所業――生命を生み出す、ということ。ウィンリィにはロマンが無いと言われたが、それをたった280日でやってしまう女の人ってやっぱりすごい、とエドは思う。数値や演算や構築式を遙かに超えた生命の力というものは、こんなにもあたたかで優しい、やわらかないのちを育むことができるのか。
予定日よりもずいぶん早い出産で皆を大慌てさせ、色んな人をあちこち走り回らせた赤ん坊は、そんな大人たちの苦労など知りもせず、すやすやと小さな寝息を立てていた。真っ白のやわらかい産着に大事に大事に包まれた小さな子どもは、生まれた直後は猿みたいな顔をしているとエドが思ったものだが、今はふわふわの髪の毛と、お乳を吸うように開いたり閉じたりしている小さなくちびる、やわらかでほんのり赤みのさしたほっぺたをした、愛らしい赤ん坊になっている。まだ目は開いていないが、きっときらきらした瞳をしているに違いない。この世界に希望と光を夢見て生まれてきたいのちなのだから。
新しいいのちが生まれるというのは本当に大変なことだった。母親は痛そうで苦しそうで、とても怖かった――「怖い」と、感じた。情けないことにエドとアルは手も口も出せなかった。女の人は偉大だ、と心底思う。母親であるサテラさんにしても、ウィンリィにしても、パニーニャにしても、いざという時の女の人の決断力と有無を言わさぬ強い意志、そして母性本能とでも言おうか、誰かを、何かを守ろうとする力には圧倒されてしまった。
ベッドの上で眠る赤ん坊に、そっと手をさしのべてみる。すると小さな手がきゅっとエドの指をつかんだ。エドは少し驚いて赤ん坊を見つめ返す。
指に感じるのは小さくても確かな力。これからどんなこともその手に掴む可能性を持った力だ。
(アルも、こんな感じだったのかな)
エドとアルは年子であるため成長にそれほど差があるわけではないが、それでも二人一緒に生まれたわけではない。アルが生まれた時、エドは「兄」として接しているはずなのだ。弟もこんな赤ん坊だったのだろうかと考えて、エドは知らず知らずに優しい笑みを浮かべていた。その表情はもしかしたら、幼い頃、弟という初めて自分より小さくて弱い生き物に触れたときの彼のそれと、同じだったかもしれない。ミルクのにおいのするちっちゃな弟のベッドを、背伸びしてのぞき込んでいた頃。自分の指をしっかりと握り返す小さな手が可愛くて愛しくてしょうがなかった頃が、エドは覚えていないけれど確かにあったのだ。
エドはゆっくりと、赤ん坊に握られていない方の手、鋼の右手を持ち上げた。熱の通わない冷たい手のひらを見つめる。
鋼の重みは自分の過ちから目を逸らさせないための戒めだ。だけど、弟の魂と引替にこの手を差し出したことをエドは後悔していない。次はこの手で弟と、自分の手足を取り戻してみせる。
エドは右手をぎゅっと握りしめた。――捕まえてみせる。自分の手は弟を守るためにあったのだと、深い後悔と罪を背負ったあの日に悟ったのだから。
「おっきくなれよ」
すやすやと眠る赤ん坊に、エドはそう言葉を落とした。
おっきくなれ。目を開いて、飛び込んできた世界はおまえにとってどう映るかわからない。だけど、そこに光を見出して欲しい。しっかりと世界を見つめて、そしてその小さな手に未来を捕まえてほしい。――その手は、幸せを掴むためにあるのだから。
赤ん坊はまるで言われた言葉を理解したかのように、エドの指を握る力をもう一度強くこめた。エドはちょっと目を見張って、それから微笑む。
明日の空が晴れるといい。
眼を開けた赤ん坊が見上げる空が真っ青に透き通っていればいいと、エドはそう思って窓の向こう、広がる空を仰いだ。
*おしまい*
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