きみにすきだと言えたなら。
震える胸に、溢れる想いを募らせて。
ずっとずっと、自分の胸だけに抱いていくと決めたこの気持ちを。


きみにすきだと言えたなら




 ノックも無しにバン!と扉を開け放つと、豪奢な黒い椅子に背を預けて書類に目を落としていた司令室の主は、突然の騒音に驚いて顔を上げた。そして視界に勢いよく飛び込んだ小さな竜巻のような金の光をみとめて彼は一瞬目を見張り、ついでふっと顔をほころばせた。
「久しぶりだな、鋼の」
 反則だ、コノヤロウ。
 扉に手をついたままで、肩を上下させて乱れた息を整えながらエドワードは、胸の内で悪態をついた。
 エドワードがここ、東方司令部に顔を見せるのは実に三ヶ月ぶりのことになる。報告書は定期的に、と散々言われておきながら、エドワードはそれを綺麗に右耳から左耳へ聞き流して国中を飛び回っている。気が向いたときに戻ってきては報告書をここの主、ロイ・マスタング大佐に提出するというのが常だった。
 何の連絡も入れずに、いきなり現れてびっくりさせてやろうと思ったのに。
 エドワードは微笑んで立ち上がった男を睨みつけながら、呆れたような、悔しいような、面白くない感情を胸に浮かべて顔を逸らした。まったく、驚かそうと計画したこちらが逆に驚かされるなんて、なんてことだろう。
(そんなふうに笑うの、反則だ)
 こっちの気持ちを知りもしないで。
 入口で仁王立ちに立ったまま動かないエドワード越しに、近づいてきたロイが手を伸ばして開けっ放しだった扉を閉めた。青い軍服が覆い被さるように自分の目の前に広がって、エドワードは息をつめる。ふわりと香った香水の匂いに目眩がしそうになった。遠い空の下でどれだけ想ったかしれない、ロイの香りだ。
「今回はまた、ずいぶん間が空いたね。まったく、いつも連絡は定期的にと言っているのに」
 しようがないな、とロイは苦笑しながらエドワードにソファに腰を下ろすように勧めた。お茶でも淹れようか、と自らデスク横の小さな食器棚に手を伸ばす上官を目で追う。仕事中は顔をしかめる程濃いブラックコーヒーしか飲まないロイの執務室に、紅茶とミルクと砂糖瓶が常備してあることを、エドワードは知っていた。それが誰のためなのか、尋ねたことはないけれど、その紅茶パックが自分が訪れるたびにひとつずつ減っていることも知っている。
 勘違いしてしまいそうだ、とエドワードは苦い笑みをこぼす。他の人にも等しく施されるものだとわかっているのに、わかっているのにそんなふうに優しさを与えられると、錯覚してしまいそうになる。
 もしかしたら、自分が密かに抱くこの感情を、大佐も抱いているんじゃないかって。
「はいコレ報告書」
 ロイが淹れた紅茶のカップを受け取って、代わりにレポートの束を渡す。ぶっきらぼうに突きだしたそれを受け取って、ロイはエドワードの隣に腰を下ろした。
「……鋼の、もう少し綺麗な字で書けないのかね」
「仕方ねーだろ、来るときの汽車ん中で書いたんだから」
 突きつけられた報告書にびっしり埋められた、踊るような右上がりの豪快な文字に顔をしかめたロイがため息をつくのを無視して、エドワードはカップに口をつけた。こくんと喉を鳴らせば、ほどよい甘さが舌に広がっていく。自分が好む砂糖の量を、いつの間にか傍らの男は覚えている。少し甘めのその紅茶は身体に優しく浸透していくようで、だがどこか切ない甘さを持っていた。紅茶を飲みながら、隣のロイを盗み見る。エドワードとまったく正反対の色を纏う彼は、長めの前髪を端正な顔に落として、報告書に目を通していた。その横顔は女性が見れば一発でとろんと見惚れてしまいそうだ。文句を言いながらもレポートを読むその目は真剣で、エドワードの視線にも気付いていないようだった。
 エドワードが東方司令部を訪れることをおざなりにしているのは、旅の忙しさも理由にはあったが、何よりロイに会いたくないからだった。――顔を見てしまえば、言葉を交わしてしまえば、胸に隠した想いが溢れて出そうになる。優しくされたら、どうしようもなく切なくなる。
 頭を撫でる大きな手、とか。
 苦笑しながら、でも優しい眼をして「久しぶりだな」と言う声、とか。
 鋼の、と他の誰も呼ばない名前で自分を呼ぶ言霊の響き、とか。
 そんなものにいちいち飛び跳ねる心臓を抑えて、照れ隠しにぶっきらぼうな口調で応対をする胸の奥が、どうしようもなく締め付けられて。誰にも言えない秘密の恋を抱くには、エドワードはまだ幼すぎた。
 すきだなんて、言えるはずもないのに。
「あいかわらず、よくまとめられて分かりやすい報告書だな。――汽車の中ででっちあげたにしては」
 最後の一枚に目を通し終わると、ロイはからかうような瞳でそう言って寄越した。考え事に意識を飛ばしていたエドワードは一度大きな目をぱちくりさせてから、言われた意味を悟って盛大に声を上げる。
「失礼な! 各地で見てきたことはちゃんと頭に覚えてんの。それを一気に文章に表しただけだっつの」
「逐一レポートにまとめるのが面倒で後回しにしてるんだろう」
「うっさい。オレは記憶力がいいの!」
「どうだか」
 楽しそうにロイは笑う。14も年下のエドワードに対してロイは平気で喧嘩を売ってくるし、ちょっかいを出してくる。よく子どものような口喧嘩を繰り広げては、エスカレートした果てに金髪の美人副官に銃を連射されていた。若くして異例の出世を遂げ、イシュヴァールの英雄と称された大佐の地位にある男のそんな子どもっぽい一面が、エドワードはすきだった。
「アルフォンス君は?」
「アルはみんなのとこにいるよ。オレはあんたに渡す報告書があったから」
「そうか」
 他愛もない会話のやりとりをしながら、エドワードはとくん、といつもより少し速く、そして切なく、けれど心地よい鼓動を聴く。秘密の感情を隠すことの苦しさと切なさの裏で、やっぱり大佐に会えれば嬉しいし、声を聴けば幸せになる。どうしてこんな恋をしてしまったのだろう、と自分に呆れると同時に、けれどその想いを大切にしたいと、愛しさが込み上げる。人はみんな、こんな矛盾の中で恋をするのだろうか。
「じゃあ、オレそろそろアルんとこ戻るわ」
 各地を回って見てきたことや錬金術の話をしばらくした後、飲み終えた紅茶のカップを置いてエドワードは立ち上がった。それを追うようにロイが顔を上げる。
「鋼の」
 なに、と振り返れば、ロイはソファに座ったまま、にやりと不敵な笑みを浮かべて言って寄越した。
「事後処理が面倒だから、私の管轄内では死ぬなよ」
 いつものように、べえっと舌を出してその台詞に答える。
「ぜったいてめーより先に死なねえよ、クソ大佐!」
 楽しそうなロイの笑い声を背にして、エドワードは今度こそ踵を返した。別れの時は振り返らないと、決めている。さよならの言葉だって言うもんか。旅立つ自分を決してロイが止めないことを、知っているから。
 ――それでも。
「一月に一度くらいは、連絡を入れなさい。――できるだけ、顔も見せるように」
 扉を閉める刹那、去る自分を追うように優しく降りた声に、エドワードは胸を締め付けられる。振り返らないまま扉をばたんと閉めて、少しの間立ちすくんだ。ゆっくりと息を吐き出して、前髪をかき上げる。
 いつか、きみにすきだと言えたなら。
 突き放されると判っているこの気持ちを、だけど伝える勇気を持つには、まだもうすこし、時間が欲しい。だけど、それでもこの想いを、いつかは言葉にできるといいと、思う。
 くちびるをきゅっと噛んで、顔を上げる。踏み出す一歩に迷いなんて乗せない。各地を旅して、また紙面を騒がせてやろう。そうやって自分が元気に過ごしていることを、伝えてやろうじゃないか。
 根っからのトラブルメーカー体質の自分だ。きっとまた色んなことに巻き込まれて、忙しさに呑まれるだろう。
 次の町でも一暴れしてやろう、といたずらっぽい笑みを浮かべて、エドワードはかつん、と床を鳴らして足を踏み出した。




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