3秒後、きみがしあわせであるように



 そっと部屋の中を窺えば、高い位置に取り付けられた小さな窓から朱を混ぜ始めた柔らかな光が差し込んで、白い床を薄く染めていた。微かに聞こえてくる紙の擦れる音に目当ての人物が居ることを確信して、エドワードはそろりと身体を押し込むと、後ろ手に扉を閉めた。
 所狭しと部屋を埋め尽くすアルミの本棚から香る、独特のインクの匂い。資料室の薄闇は好きだ。本の隙間から漏れる朱色の光や、ひんやりとした空気も好ましい。賑やかな喧噪に包まれた華やいだ場も嫌いではないけれど、ゆっくりと時間の流れる静かな場所でときどき休みたくなるのだ。



 なるべく足音を殺して進んでいけば、はたして意中の人物、ロイ・マスタングは部屋の一番奥で椅子に腰掛け、机に広げた資料に目を落としていた。白い壁と床、薄赤い光の中、彼だけは夜の色を纏って。

(見たことねー顔)

 手元を見つめる漆黒の瞳は厳しく、空気はぴりりと張り詰めて、男のそれは軍人の顔だった。まだエドワードが鋼の義肢を付けて旅をしていた頃、女誑しだ無能だのと散々に言われながら笑って過ごしていた彼が、こんな顔を自分には見せないようにしていたのだと、悟ったのは同じ青い軍服に袖を通すようになってからだ。



 エドワードは未だ声を発さなかったが、視線に気づいたのか、金色を視界に見とめたのか、ロイは顔を上げた。本を閉じ、エドワードを瞳に収めてふわりと笑んだ彼にはすでに先ほどの緊張をはらんだ空気はなかった。

「いつからいた? 声を掛けてくれればよかったのに」
「……珍しく集中してるみたいだったからさ」

 言ってエドワードは、腰を下ろしたままのロイに歩み寄った。近くで見る彼の顔にうっすらと疲労の色が浮かんでいるのを見て、ちらりと机の上に目をやってみたが、広げられたそれらが何の資料であるかは見当も付かない。さり気なくロイが資料を遠のける素振りを見せたので、諦めて目を逸らした。


「ちょっと調べ物があってね」
「アンタも真面目に仕事するんだなー」
「君ね……」

 その言い草は無いだろうと苦笑するロイに、エドワードはそっと手を伸ばした。自分のそれとは正反対の黒い髪に触れる。突然伸びて来た指にロイは驚いて眼を見張ったが、エドワードに任せるままにじっとしていた。前髪に触れる手に少しくすぐったそうに笑いを零す。

「……なんか変な感じ」
「うん?」
「アンタを見下ろすなんてさ」
「ああ、そりゃあ君は」
「ちっさいって言ったらぶっ飛ばす」

 うぐ、と出かかった言葉を噛み殺すのに失敗して慌てて口を手で覆うのが可笑しくて、エドワードは笑い声を立てた。刹那、ふわりと零れた金色のあたたかさにロイが眼を細めたのを、エドワードは知らない。ロイは逆に自分に伸ばされたエドワードの手を取り、もう一方の手で金の頭を引き寄せた。
 当然のように近づいてくる唇に、エドワードは目を閉じた。一度確かめるようにそっと触れて、それから深くなるキスに、舌が触れあう瞬間に背中をぞくりと走る感覚がある。全てを絡み取ってしまうようなキスに何も考えられなくなる。そんな風にして思考を遮るのはずるいと思ったけれど、握り込まれた手も触れる男の唇も本当に優しかったから、結局流されてしまうのだ。
 いつもよりも少し性急なキスは、性欲からではなく、ただ温もりを求めて縋るような――そんな感じがして、エドワードは腕を伸ばして男の身体を抱きしめた。
 弟の優しい魂がもう一度あたたかな身体に宿るのなら、自分は取り戻せなくても構わないと思っていたけれど。エドワードは朧気な意識のなか、胸の内にそっと呟いた。


 ――あんたに温もりを灯せる腕があって、よかった。









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